魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

スピリチュアルメッセージ|物事の捉え方を鍛えることが幸せの第一歩



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幸せとは、それを幸せと「感じられるかどうか」にかかっている。幸せはどこにある?どこにみつけるべきか?それは過去でも未来でもなく「いま」という瞬間の連続性のなかにみつけるべきだ。現代人のこころを゛多忙゛と表現するとしよう。まず゛忙゛とはこころをなくすと書いている。多忙とはおおくこころをなくすことだ。「いま」という瞬間の捉え方に失敗すれば、一秒後の「いま」も失敗し、つぎつぎ失敗を重ねていく。

 

 

動機にフォーカスする必要性

 

現代人は仕事でミスをすれば怒られ、要領が悪いと指摘され、神経は針のむしろにある状態だ。無駄をなくすことが当然であるかのようにみにふるまう。だが、考えてみてほしい。その行動に至る過程には、当事者のこれまで育った環境、現在の周囲の環境、性格、心理状況などの多くの要因が絡んでいる。どこにも無駄は存在していない。結果一つ、行動一つとりあげて、無駄と感じることは傲慢さの現れである。

 

人の行動を見て反応することは簡単なことなんだ。赤信号を無視した歩行者を評価することは誰でもできるだろう?じぶんが人の和となる話題を提供したり、みなが安心して寄り添ってくれる存在であることに意識を向けるほうがはるかに難しく、価値のあることだ。

 

部下がいることで上司役ができ、上司がいること部下役ができる。

 

親役がいるから子供役ができる。子供役がいるから親役ができる。

 

動機を無視して正論を振りかざしても、意味はない。正論を振りかざす心理は、正論を振りかざすことで、無意識的に自身の未熟さを正当化しようとしているだけだ。

 

 

物事の捉え方を鍛えるには

 

まず、重要視すべきは事実である。何か起こったとき、じぶんがどう感じたかを一旦おいておき、物事の事実を把握しようとする姿勢が大切だ。実は感情や観念というものが邪魔をして、物事を観察する眼が曇るということが起こりうる。

 

感情は過去の経験から培われた思考体型をベースに、似た事例がおこると似た反応をする。昔、緊張で人のまえでうまく話せないことを理由にそれを親から指摘され、否定的なワードが内面に残っている場合、別の誰かとはなしをしていて否定型のはなしかたをされるとそれに抵抗を覚える。

 

「もっとハキハキ話せないと相手に伝わらないよ」と。

 

そしてその相手を「嫌な人だな」と感じる。

 

感情反応は習慣からできている

 

過去の感情記憶はまったく新しい出来事に対しても、自身の感情に騙されて反応するということだ。感情は発生源をみつけ、向き合うことでじぶん自身に説明できるものになっていく。

 

上記の例でいえば、事実は、指摘した相手にとっては、主の話し方では内容がうまく伝わらないということである。もし、じぶんが否定されたと感じるならば、それは二次的な感覚といえる。

 

ゆえに、話し方を治そうかな

 

と本来ならそれで十分なのだ。さまざまな事情に対して、事実で解釈するクセをつけるといい。

 

相手のことをどう感じているかのまえに、じぶんがじぶんのことをどう感じているかということが肝心である。

 

観察力を磨き、物事の捉え方に偏りがなくなっていくと、自然に、相手に対して譲れるものが増えてくる。俯瞰した状況から物事をみることが習慣化していくのだ。

 

それこそ、内面の問題を、パズルして組み上げていくと、それまで漠然として不明瞭だった事柄に、筋道を見いだせるようになる。無理をして形成した自我活動を修正して、楽でいられる道を選択しはじめる。そうすることで、無意識は思いやりや、優しさといった利他的感覚にフォーカスしはじめ、幸福の価値観をみつけやすくなる。

 

パズルすることを習慣化すると感覚的にも鋭くなるため、自然からスピリチュアル的なメッセージも直感的に受けとることが可能になっていくのだ。