魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

スピリチュアル的に見た幸せとは?


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つぎの二文は一見矛盾しているようで、矛盾していない。「人間一人きりでは生きられない。」「人間一人でも生きれるようでなければならない。」さてどちらが正解だろう。実はその真意を理解することが幸せに生きることに繋がるのだ。スピリチュアル的にみた幸せとは?

 

 

スピリチュアル的にみた幸せ

 

「彼が幸せならいいさ」どこかしらに問題を感じさせる人物にでも、このことばは適用できる。もちろんそれが間違いなどというつもりはない。だけどもし、ひびの生活で、ご飯は美味しいし、友達もいるのだが、なんだか虚しいという場合は、すこし一緒に考えてみよう。

 

スピリチュアル的にみた幸せという定義は、「の成長」これにつきる。ひとはみな、自身のカルマを解消し、魂をより磨くために霊界と呼ばれる場所から地球に誕生するというわけだ。

 

なぜそんなことをするのかといえば、霊界には、物質的な価値観は存在せず、お金がもの申すような仕組みではない。霊的な成長こそが幸せなことなのだ。霊的な成長こそが通貨であり発達段階によって、じぶんの居場所が決まるわけ。

 

余談だけど、霊界には音楽も、絵画もあるといわれているんだぜ。そこで冒頭のはなしに戻る。誰かがいった。「人間は一人では生きられない」また誰かがいった。「人間は一人でも生きられるようでなければならない」これは人は、他人という鏡を通してでなければ、じぶんのアイデンティティーは発見できない。そういった意味では、一人きりではじぶんがなりたたない。だけど、じぶんのアイデンティティーを確立したあとであれば、じぶんの魂を磨くために、例え一人きりになろうとも生きねばならない。ということだ。

 

じぶんのアイデンティティーに気づき、人生の冒険に遭遇しながら、ついにそれが確固たる自信になったとき、誰かと比較する必要がない幸せを体得できる。ふと「天上天下唯我独尊」などと、いってしまうかもしれない。

 

もし、友人と離れた後でさみしい気持ちになるのなら、その関係は良くないものだ。美味しい料理を食べても感動しないのであれば、愛が欠落しているのだ。五感で感じるものは、愛とともに感じた経験がなければ感動は生まれない。こころから大切におもえる人と生活を共にし、思いやりをもって誰かに接することをこころがければ、おなじくフィードバックが得られる状況へと変化していく。

 

 

おわりに

 

スピリチュアル的にみた幸せとは学びを通した「魂」の成長である。道のりは険しく、一筋縄ではいかない状況もあるだろう。だが、一歩全身し、あるときは行き先が雲って感じたとしても、その繰り返しのなか、以前よりすこしづつ成長しているじぶんがいる。