魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

スピリチュアルメッセージ|批判とは裁くことではない


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テレビの討論などでも批判するための「批判」が非常に目立っている。社会生活をするうえでも、人の行動一つ、ことば一つとって、鬼の首をとったような批判を繰り返すケースはよく見かける。他人の言動の結果を軽々しく批判することに、想像力は一欠片も必要がない。結果に対するうんちくは思考のどん詰まりなのだ。

 

 

正しい批判とは

 

批判とは物事を偏りなく観察しようとした結果、偏りや執着している部分を修正するめに必要なのである。決して誰かを責めさいなむのは本来の批判ではない。批判という体裁をとり、誰かを責めるのは

 

その人物の性格である

 

スピリチュアル的にも、道理としてみても、人を責める行いは、じぶん自身が責められる理由にもなりうる。一つのことで、相手を責めると、おなじことが起きればつぎはじぶんが責められる。

 

誰かを責めること

 

誰かを責める人物は、幼少期に怒りという感情が内向してしまったのである。本来怒りが向かうべき方向性を見失ったのだ。性質は傷つきやすく、じぶんを守ろうとする防衛本能から被害者意識が強い。ゆえに誰かを責めることは、当事者にとって本来の怒りを発散させるための代償行為となっているのだ。

 

そして誰かを責めるということは、簡単にストロークを得られる行いだ。注目を集めることもできる。誰かを責めるという行いにはある種の依存心が隠れている。

 

世の中は愛情不足

 

世の中は愛情が不足している。失敗しようが、間違いをおこそうが、能力がなかろうが、「あなたは大切な存在である」というメッセージが少なすぎる。能力がなければ、完璧でなければ、優れていなければという価値基準が構築されやすいのだ。ゆえに、自己承認の手段として、自己正当化は大いに役立つのだ。

 

誰かを批判することで、じぶんの正統性を誇示したいという考えが往々にして存在する。だけど、真にじぶんを大切に、もとい、他人に優しい人物は、そういった比較的価値を求めて、品のない批判をすることはない。誰かにわざわざじぶんの正統性をみせつけずとも

 

じぶんを成立させることができるのである。

 

批判というものは

 

手段

であってはならない。物事を偏りなく、真理ある場所へもっていくための行いであるべきだ。批判を通して、物事が好転し、よりよい方向へと向かうように促すことが、ほんとの意味での批判である。

 

 

おわりに

 

以前、人を裁くことに対する不毛さについて書いたが、悪意のある批判にもおなじことがいえる。ボクは人を批判するまえに、じぶんが人を批判できるような人間だろうかと、まず己に聞いてみる。自身の内面が中庸になければ、批判もおのずと偏ったものとなる。