魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

泣くことは浄化に繋がる|スピリチュアルでみたメリット


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ボクは泣くことを習慣にしている。静かに泣くこともあれば声に出して泣くこともある。決してあやしい儀式ではない。みなさまは泣くことが「意識と感情の浄化」に繋がることをご存知だろうか?ストレスを溜めがちで、なにかと忙しない現在において、仮に男性であっても泣く習慣をお勧めする。

 

 

泣くことは意識と感情の浄化に繋がる

 

インナーチャイルド療法にもあるのだけど、過去のじぶん自身と向き合い、こころの底に抱えた問題と向き合うことは、現状の心理的精神的状態を保うえで不可欠だといえる。

 

同様に意識や感情も、日々向き合わねば゛糸が切れたタコ゛という状態になる。仮に日常における「多忙」というものに依存し、己と向き合わない状況がつづけば、じぶんでじぶんの深層心理がわからなくなる。例えばじぶんの意思で涙を流すことができるひとは、意識記憶、感情記憶にアクセスし、それを具現化するちからがある。

 

実際に起こった出来事にフォーカスする場合もあれば、意識に働きかけイメージを作り出して泣く場合もあるだろう。実際の出来事であれ、想像を被せたものであれ、イメージができるということは、「内的な意識、感情と繋がりを維持」できているのだ。感情はしっかりと感じてやらねば、納得しない性質がある。無理矢理おしこめてしまうと「無視するな」と訴えてくる。

 

゛悲しみ゛という感情は扱い方が非常にデリケートで、なぜ悲しい気持ちになったのかを、ハッキリと自覚できずに放置すれば、感じられなくなる。感じられないから、いいじゃないかという問題ではなく、あなたを苦しめる要因として、へばりつくのだ。蓄積していくと、理由のわからない生き苦しさや、何事をするにもおっくうになったりする。

 

ずっと蓋をするという選択肢もあるけれど、解放してやることが、生き生きと生きることに繋がるのだ。前置きが長くなったが、泣くという行為は泣くまでのイメージづくりに成功しているといえる。じぶんでじぶんの意識、感情の動きが理解できている。そして泣くことで、無意識的に表面化させるべき意識、感情を選択することで、過去の記憶とも繋がっている。

 

泣くことによる浄化をことばで説明するなら、意識的、感情的記憶に触れ、癒すことで修正し、そのつど健康体を維持しているのだ。

 

泣くことはじぶんでできる健康法の一つなのだ。革命家のチェゲバラ氏いわく「ある日の真実が永遠の真実とは限らない」というセリフがボクは好きだ。実際には真実の捉え方は、日々違ってあたりまえであり、それに気づくためには、己の内面と向き合わねばならないというわけだ。

 

強い子は泣かないという偏見

 

幼少期に親や学校で聞かされる「強い子は泣かないの」ということばが、いかに的外れでいい加減なものであるのかが大人になってから理解した。

 

泣くことは感情の整理を行う行為だ。感情を押し曲げて内向させてしまうことのほうが危険ではないのか?怒りを感じたとする、その怒りをなかったかのように飲みこめというのは無茶なはなしだろう。そのようなことを続けていれば、大人になってから、心理構造に伴う歪みが拡大していくだけだ。時と場所を考えてどんどん泣けばいい。泣くことで、感情を内向させないようにし、意識的にも解放される道を選ぶといい。

 

 

スピリチュアル的にみた浄化作用

 

「泣くことは強力な浄化作用である。溜まった邪気を涙とともに排出し、雰囲気をクリアにする効果がある。」スピリチュアル的な解釈をすればそんなところ。

 

そして実は泣くことは潜在意識に働きかける効力もあるのだ。ボクは半年間毎日、泣きつづけた時期がある。泣きつづけるうちに過去の辛い記憶が蘇ってくることがわかった。記憶は幼少期に遡り、どのようにして、現在の感情、意識的形成が成されたのかを少しづつしった。「泣き活」である。

 

泣くことを意図的に行い、意識と感情の統合に繋げる方法といえるだろう。そして潜在意識の書記記憶に少しずつ変化がおきて、視野が拡大する。潜在意識への働きかけは、スピリットの喜びだ。より繊細に、より、鮮明に、より、ハングリーに生きるすべが身に付くはずだ。