魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

悟りを開くとどうなる?


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悟りを開くというタイトルだけど、悟り世代とは直接は関係ない。だけどまるで関係ないとはいえない。彼女より趣味に没頭、お金がないから、見栄をはって高級車に乗る必要も感じないと感じる悟り世代の発想力はシンプルだ。「じゃあ一生懸命働いて車買いなよ」といわれても、物質的喜びをそこまで欲していない印象だ。悟りを開く人は欲を克服している。悟りを開く人は、もとより、人の世の理がバランスを崩しているときに、登場する。現代は物質的な喜び、社会での優劣意識によるステータスに偏りすぎている。

 

 

悟りを開く必要性

 

どうも窮屈だぞ。現代社会を生きるひとびとにとってはひび感じていることだろう。ノルマ、効率、要領、成果主義、友人から聞いたはなしだ。「満員電車に揺られながら、ふと逆をゆくとなりの電車をみつめると、人はガラガラ、ああ、俺もあの電車に乗って遠くへいってしまいたい。」彼はその想いを実現させて仕事をやめた。

 

前置きがながくなったが、現代人にはこころの休息が必要だ。こころの休息をとらないというのは、スピリチュアル的視点では不健康である。人間を構成する要素は肉体、精神、霊性の三つがバランスよく機能している状態だ。

 

われわれは本来は霊魂であり肉体は乗り物だ。肉体をもつことで痛みや苦しみを感じ、魂を成長させようという課題をもっている。さて、このあたりで、あれ?なんか期待した記事内容と違うかもと感じる人もあらわれるかもしれないが続けたい。

 

現代は、肉体優位の状態であるがために、ことばでいい表せない、自然界の幾何学的なメッセージを受けとる準備ができていない。われわれは当然のように窓の外の雨は認識できる。だけど、それはじぶん本位であり、雨のなかに森羅万象の一部であるじぶんが、存在しているとは感じられないだろう。雨音と五感の連絡ミスがおきているのだ。

 

われわれはあくまで事象の一部なのだ。優劣意識、物質的価値に重きを置いた探求は、自意識を強め、森羅万象としての構成要因からは、断絶していて、実はとても不自然な状態といえる。釈迦の全体像を把握できない孫悟空のような物の捉え方をしているのだ。悟りを開くという行為は森羅万象の一部としての自身を理解する意味がある。悟りを開くという行為は、特別な誰かがするものではなく、われわれが意識しておかねばならない方向性だ。

 

アーミッシュのように、万物と調和する生き方のさきに、幸福とはどのようなものであるのかという課題が見えてくるだろう。

 

悟りを開くには己の感情を理解する

 

われわれが普段ものすごく傷ついた出来事があり、悲しみにくれているとして、果たしてその悲しみは人生のどの段階で生まれたのだろう。感情のほとんどは幼少期の体験から培ったもので、感情的思考形態をリフレインしていることが多い。

 

なぜ、悲しいと感じるのか、なぜ怒りを感じるのか、考えさかのぼると、過去に似た出来事と、に結果が存在している。悟りを開くためには、過去の感情ではなく、今そのものに意識をフォーカスさせる必要がある。悟りは今現在の連続である。

 

古い感情パターンは理解して手離して、新たに物事をジャッジしない思考パターンを形成せねばならない。今を生きるというとふつうのことのようだが、難しいことなのだ。

 

 

悟りを開くとどうなる?

 

悟りを開いた特徴として、自身の存在に疑問を抱かなくというものがある。これまでじぶんだとおもってきた意識は、感情パターン、思考パターンの集大成に過ぎなかったことが理解できる。

 

疑いのない自我を感じること、これ以上の至福はない。社会的な目、誰かからの評価から離れて、疑いようがなく存在していると感じるのだ。そういった意識の拡大は現代社会に広く浸透してほしい。

 

釈迦は21日の断食ののちに、しばらくして悟りを開いたとされる。悟りを開くためには、それ相応の修行が必要といえるだろう。しかし、地球の波動上昇にともなうアセンションが起こり、意識改革を行うきっかけをつくるひとは多いだろう。

 

おわりに

 

悟りとは、特別ななにかを習得する手段ではなく、われわれ人間も森羅万象の一部と認識することである。物質的、優劣意識の拡大の意味する道は必ず行き止まりを生む。われわれは本来他の誰かを巻き込まなくとも、誰かに個をアピールせずとも、みずから承認欲求を満たせるほどに成長しなければならない。現代「生き辛い」という感覚をもっている人の数は相当数におよぶだろう。社会に適応しなければならない、誰かののぞむじぶんにならねばならない、など、大変である。みずからを磨き、こころの不要なものを捨てることで、少なくとも無理のないじぶんでいられる。