原石から大御所まで

芸人について書いていきたいとおもいます。

『サンドウィッチマン』の功績がすごい|芸風と感想


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みなさまお気づきだろうか?

 

2007年にM1で優勝を果たしたのち、『サンドウィッチマン』の漫才やコントは、進化を続け、もはや、芸術と呼んでも差し支えないほどに中身が充実していることを。

 

個人的に、漫才史に影響を与えた、偉大なコンビをあげるとすると、まず、゛ツービート゛、いわずとしれた゛ダウンタウン゛実力派の゛中川家゛そして゛サンドウィッチマン゛と考えている。

 

そして、漫才、コントに関する意見も世にさまざまあるだろうなか、はばかりながら、個人的見解を述べるならば、現時点で史上最もうまい漫才師は『サンドウィッチマン』だ。

 

個人的にではあるが、自信をもって断言する。

 

前回、天才サンドウィッチマン|大御所になっても進化を続ける|芸風と感想サンドウィッチマンのプロフィールはご紹介させていただいたが、再び書かせていただいたのち、サンドウィッチマンの残した功績をふまえて書いてみたい。

 

目次

 

 

サンドウィッチマンのプロフィール

 

結成/1998年
所属事務所/グレープカンパニー
スタイル/漫才、コント
賞/2007年M1王者

ツッコミ担当:伊達みきお(だてみきお)

誕生日/1974年9月5日生まれ
出身地/宮城県
血液型/A型
身長/170cm
特技/卵の外見から、生卵か茹で卵か判断できる


ボケ担当:冨澤たけし(とみざわたけし)

誕生日/1974年4月30日生まれ

出身地/宮城県
血液型/AB型
身長/170cm
特技/スポーツゲーム

 

<詳しくは>

https://grapecom.jp/talent_writer/sandwichman/

 

サンドウィッチマンの漫才とコント

 

サンドウィッチマン』の芸風の特徴は二つある。

 

まず冨澤さんのボケに対して、いらだちをみせながらも、一場面一場面、伊達さんが楽しんでボケに乗るというスタイル。

 

二つ目は、お二人にしかわからないような、もしくは、あまり一般的に知られていない、身内ネタをいれて、わざとスベらせて、その状線を回収するというもの。

 

ラグビーの漫才では、たびたび、直接ラグビーと関係ない「男塾」(漫画)の話題をふる冨澤さんに対して、そのつど、男塾塾長江島平八風に男塾名物を読み上げる。

 

「男塾名物!らぐびい!」

 

「男塾名物!竹林拳相撲!」

 

伊達さん「この漫画誰がついてくるんだ、何人男塾を知ってるんだ」といいつつ、楽しげ。

 

サンドウィッチマン』の芸風には、ボケにもツッコミにも、いやみさや、ナルシズムさがまったく感じられない。

 

それゆえに観客に負荷がかからず、よくわからないネタでも、二人のやりとりだけで笑ってしまう。

 

 

そんな『サンドウィッチマン』の作品で、一般的な知名度で、多くの人から傑作とうたわれるのは゛ピザ゛か゛職務質問゛あたりではないだろうか?

 

ふだんのオーソドックスな芸で、いわゆる伊達さんツッコミ、冨澤さんボケのケースで、漫才、コント合わせて、個人的に傑作を決めるとすると、゛レストラン゛か゛ソーギヤ゛である。

 

そして『サンドウィッチマン』はどちらも、ボケとツッコミができるのが特徴だ。

 

サンドウィッチマン』の作品には、二人両方が、すごい頻度でボケとツッコミを代わる代わる繰り返す、秀逸作が存在する。

 

「パンダ」だ。

 

この辺りは、コアなファン向けの話題なのだが、個人的に「パンダ」は『サンドウィッチマン』の真骨頂であり、遊び心あふれた最高傑作だと感じる。

 

実際、ボケとツッコミ両方できるコンビは他にも存在するが、基本ツッコミ担当がボケに入れ替わるときは、漫才中の流れに乗るのがふつうなのだが、「パンダ」では、設定上の役柄として、それが違和感なく成り立つのがすごい部分だ。

 

もちろん基本ツッコミ担当の園長役の伊達さんが、パンダを動物園にいれたことにちなんで、「パンだこのやろう!」と猪木風にいう辺りなど、こんな人いそうだなと、自然と感情移入ができる。

 

なにかのドラマのワンシーンのようで、わざわざとってつけた感がない。

 

自然と端を発し、自然と終わるのが『サンドウィッチマン』の漫才であり、コントである。

 

簡単ではあるが、特徴をあげたので、これからはいよいよ本題にはいりたい。

 

 

サンドウィッチマンの考察[その功績]

 

アクの強い笑いで、関東の笑いを牽引した「ツービート」、デビュー当時は、その新しさに困惑すら与えた「ダウンタウン」、ボケとツッコミを両者がこなす「中川家」、サンドウィッチマンの実力がそんな彼らの領域に到達したのは、M1で優勝して、しばらくたってからだ。

 

M1優勝当時ですら、その実力は、郡をぬいており、千鳥をもってして、「すごいやつらがでてきた」といわしめるほど。

 

当初、「強もて風の漫才」で、ツッコミの伊達さんのことばの力は、すごいものがあったのだが、年数が経つごとに、そのスタイルがだんだんと柔らかいものに変わってきた。

 

そして現在『サンドウィッチマン』の芸風こそ、大げさではなく、ある種の漫才の最大進化系とおもえる。

 

その特徴は

 

サンドウィッチマン』の漫才は相方の頭をはたかない。

 

サンドウィッチマン』のボケは誰が聞いてもわかりやすいクラシックなもの。

 

サンドウィッチマン』の漫才は、流れとしてみた場合、乱暴なことばをあまりつかわない。

 

サンドウィッチマン』のツッコミは、ふつうのことばを使う。

 

サンドウィッチマン』の漫才や、コントの特徴は、どこまでも、冨澤たけし、伊達みきおという人柄を象徴していることがあげられる。


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伊達みきおという人が、本人をそのまま演じている部分が最大級のすごさなのだ。

 

本人をそのままやるというのは、一見かんたんなようだけど、念頭においてもらいたいのは、漫才師がやる内容というのは、リアルな日常そのものの表現ではない。

 

例えそれが個人世界の演出だとしても、観客から離れすぎてはならないし、その尺度を調整するためには、ある程度の作り込みをしなければならないため、本人の独自性をどこまで発揮できるのかは、そく実力を表すのだ。

 

先ほどあげた、他の3組のコンビでもいえるけれど、一流の漫才師は、どこまでも「素」の状態である。

 

サンドウィッチマン』の笑いの成功は、間のうまさに加えて、二人の人物像を観客に伝える、表現力の高さである。

 

観客は、漫才という短い時間で彼らのことを知ることとなる。

 

芸風は、冨澤さんの、さきが読めないボケかたに対する、伊達さんの、的確なツッコミ。

 

「哀川鳥」では、乗客の伊達さんが、キャビンアテンダント約の冨澤さんに、眠るために「なんかかけるものもってきてくれ」という投げ掛けに対して、冨澤さんは「カレー」でよろしいですか?と返す。

 

ある種、オーソドックスでクラシックな漫才やコントスタイルなのだが、展開が予測ができないために、観客は

 

「そうきたか!」

と、常におもわされる連続だ。

 

その後、冨澤さんの投げ掛けに、伊達さんの「辛いほうがあったかいのか?」

というツッコミも秀逸。

 

二人のやりとりは、ことばのマジックではなく、コンセプトの成立によって、ひたすら、みるものを楽しませる仕掛けとなっている。

 

ふつう漫才というのは、積極的に笑いをとりにいくもののほうが多く、奇抜なことばや、シチュエーションを用意したくなるものではないだろうか?

 

しかしサンドウィッチマンの漫才は、ありとあらゆる゛過剰゛な要素がなく、一種の日常風景をみているような朗らかさが存在する。

 

漫才がはじまってから、みおわるまで、ずっと、緊張感なくして、みていられる。

 

それは従来の漫才において、決してふつうのことではない。

 

うまいと評価される漫才コンビをみるときでも、「期待」とともに「緊張感」をともなうものだからだ。

 

サンドウィッチマン』が証明したことは、漫才とは、面白いことばも、過激なツッコミも、奇をてらったストーリーも必要なく成立するということだ。

 

お笑いは、笑わそうと、狙いすぎた場合、そこには、一種の歪みがうまれて、みている側にストレスがかかる。

 

また人は強力なことばをきくと、面白さとどうじに、不快感もおぼえてしまう。

 

多くの芸風に存在するそれらの、部分を『サンドウィッチマン』の漫才はみごとにクリアしており、彼らは唯一無二の存在といえるだろう。

 

その功績はすごい。</p  

 

サンドウィッチマンの考察2[功績]

 

サンドウィッチマン』といえば、東北魂や、観客への配慮という点などから、優れた人柄が伝わってくる。

 

サンドウィッチマン』の、ガツガツ笑いをとりにいかないで、それでいて、観客の笑いがおこる要因の一つに、観客に愛されていることがうかがえる。

 

漫才に必要なのは、実力だけでなく、みている側とのコミュニケーションがうまくとれるかという部分が重要だ。

 

それは、漫才の祭典のような、連続して、漫才師が登場する場合で顕著に現れる。

 

いかに面白い芸風であっても、後半になるにしあがって、みている観客がじょじょに疲れてくる。

 

ゆえに後半になればなるほど、いかにヒートアップしていっても、疲れだけはどうにもならないから、無理に笑いをとることは難しい。

 

場面は熱気のピークを越えているのだから、癒しの要素、落ち着いた場面が、観客のクールダウンにちょうど適している。

 

有識者である「タモリ」の、コミュニケーション術の一つに、゛質問しすぎちゃいけない。じぶんのことをはなすと、相手もはなしだす゛というのがある。

 

笑いも押してもダメなら引いてみな、という理屈に似ていて、笑いをとりにいきすぎると、観客は疲れてしまう。

 

その点『サンドウィッチマン』の漫才は観客の、自然な共感を得ることに成功しているといえる。

 

笑いがほんとに観客のことを配慮しているかどうかを、観客は感じとる。

 

恋愛だって駆け引きが大切なのだ。

 

すなわち、なにがいいたいかというと観客が好感の目で、漫才をみるかどうかという部分は、必須要素なのだと、彼らの漫才から、あらためて感じさせられる。

 

サンドウィッチマン』のお二人はどれだけ売れても、人柄はかわらず、また、謙虚な姿勢のままだ。

 

漫才の醸し出す雰囲気は、そく、その人物の醸し出す雰囲気だ。

 

サンドウィッチマン』の漫才は、漫才師側からだけのアプローチだけでなく、観客の参加があってこそ、スベらないでいて、面白い漫才ができることを証明した。

 

しつこいようだが、観客側からの参加があってこそ、浮き沈みや、コンディションに左右されにくい、漫才道を歩めるのではなかろうか?

 

バランス、実力、人柄これだけ揃ったコンビがこれまで存在していただろうか?

 

否、いないと断言しよう!

 

 

終わりに

 

お笑いご三家といえば、「北野たけし」、「明石家さんま」、「タモリ」であるのだが、現代お笑いご三家といえば、「サンドウィッチマン中川家、ナイツ」だろう。

 

サンドウィッチマン』たち三人が集まり漫談をしているのをみると、さすがの貫禄だ。

 

彼らは上質で、上品な笑いを提供している。

 

さきほどからあげた『サンドウィッチマン』の笑いの、根幹は、お二人の人物像だ。

 

サンドウィッチマン』の地方ライブではよく、゛地方ネタ゛を漫才にもりこむ。

 

北海道の歌ネタだと、松山千春さんや、北海道の歌をいれたりするあたりにも、配慮が感じられる。

 

そして『サンドウィッチマン』はライブでよく、客いじりをする。

 

そして、毎度、必ずいじられる方がいらして、彼は『サンドウィッチマン』が有名になるまえからのファンなのだ。

 

ライブ中には彼との微笑ましい絡みがみられる。

 

客いじりと、ネタと、どちらの密度が濃いのか………。

 

なんせネタよりも長い時間をかけて、観客とコミュニケーションをとるのだから、彼らがほんとにお客を大事に考え、ファンの一人一人を大切にしてきたことがわかる。

 

サンドウィッチマン』ふくめ新しいお笑いご三家が、つぎの漫才、コントのスタイルを牽引していってほしいとおもう。

 

また、時代的にも、加速するだけではない、新しい漫才の世界をみせてもらいたい。

 

さて、『サンドウィッチマン』の漫才を芸術レベルにまで昇華した功績を讃えて、こんかいはおわろうとおもう。

 

 

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