魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

物で人を釣るではない?|スピリチュアル的にみた物で想いを伝える大切さ


f:id:tarookadato:20190722050905j:image

俳優の高倉健さんはご存知だろうか。寡黙なひとでありながら、人情味溢れる男で、日本問わず外国でも有名である。彼は空亡でいえば辰巳空亡である。辰巳空亡はことばで気持ちを伝えるのが苦手であるが、彼らの贈り物、つまり物には気持ちがこもっているとされる。「じぶん不器用ですから」というセリフのまんま、そして、いいようのない想いが物に宿るというのは事実のようだ。

 

 

物で人を釣るではない、物に込められた心

 

スピリチュアルに精通するひとなら、物には念が籠るという、すこし怖いはなしはご存知だろう。形のあるものは持ち主のこころを反映する。

 

よいものであれよくないものであれ。人形がよい例だ。世間では物をもちいて、ひとに取り入るという行為は、卑怯でみっともない行為として受けとられる。

 

しかし、高倉健さんの例でもそうだが、物をおくる行為事態が、誰かに取り入る行為ではなく、こころを伝える手段として存在するケースがある。

 

………中国での映画撮影のおり、高倉さんは、俳優として出演しており、傍らには三日間高倉さんに、傘をさしつづけた中国人アシスタンスがいた。撮影が終わったのち高倉さんは彼に短いことばをかけた。「三日間ご苦労様でした。疲れたでしょう」それだけをいうと、腕にはめていた高級腕時計を彼にそっと渡したという。

 

ほかの誰かがやると嫌みに映る行為も゛不器用゛な高倉さんがやるとそうならない。シルバーバーチの霊訓によると、ものごとを行うには動機が肝心であるという。

 

気持ちを伝えることが上手ではないひとがいるとしよう。そして、なにかの折りにプレゼントはマメにするほうである。仮にそんか彼が、ことばで伝えるちからを軽視してでなくって、心底の真心から物をおくるのであれば、それほど正直な如実なメッセージはあるまい。

 

つまり相手を想っての行為は、よい因果として実を結ぶというわけだ。逆に、不実なおもいで物でひとのこころを動かそうとするのは、その人物のこころが空なのでそうした発想にいたる。一時は実を結んでも、物のきれめが縁のきれめとなる。プレゼントをおくる側もおくられる側も、相手を想っていないのだから。

 

両者の違いは一目瞭然だ。

 

ぼく自身ズボラであまり物を送るほうではないけれど、想いを伝える手段として念頭においておきたい。</p