魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

スピリチュアルメッセージ|相手を嫌ってもあなたに愛がないわけではない


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誰かを愛するという行為が可能なのは、相手を好きになる、また嫌うという選択肢があってこそである。あなたには誰かを嫌う権利がある。それはスピリチュアル的にみて自然な摂理であるのだ。

 

 

相手を嫌ってもよい、嫌ったからといってあなたに愛がないわけではない

 

例えば、あなたが誰かと一緒にいて、頻繁に不愉快な気持ちになるとする。そのときとても息苦しいけれど、相手を嫌いなのか、どうなのかということが、ハッキリとわからない場合は、あなたは嫌う行為を禁止されてきたのだ。無意識に、私を嫌ってはならない、という誰かからのメッセージがすりこまれている。

 

当然ながらあなたが誰かを嫌いになったとしても、あなたに愛がないということにはならない。だがもし、不愉快な行いをされているに関わらず、相手を嫌うことに抵抗があるというような場合や、相手を好きなのか嫌いなのかがわからないというような場合は、あなたの感情は搾取されてきたのかもしれない。

 

誰かを嫌いになることに、なんの罪悪感が必要だろうか?誰の許可がいるのだろうか?人間は生命的な部分で、依存せねばならないような状況下であれば、相手に嫌われまいとする。そのような状況下は人間の幼少期であれば簡単にできあがる。こどもにとっては親は神だからだ。

 

こどもに逆らうことに抵抗を感じさせるような親は、自己中心的であり未熟である。自身の未熟さを、あけすけがないとか親しみやすいとか本人なりの解釈付けをするけれど、相手の自由を拘束する人物にかわりない。私を嫌ったら許さないぞという無意識のシグナルを送ってくる。

 

そして可哀想な人物を演じる。そのような環境がこどもの健全な心理的成長を阻害することはいうまでもない。こども自身の判断ができなくなるからだ。依存と、期体感を抱かせるような人物は要注意だ。最初からおそろしい人物であれば近寄らないが、他人のこころを、まったく゛受け入れない゛ひとというのは、一見善良にみえるものだ。

 

それでいて、自我を通しながら、じぶんを嫌いになることを阻止しようとする。あなたがもし、そんな相手を否定したとすれば、相手はあなたがいかに不十分で、じぶんがいかに優れているかを語るだろう。無意識領域で息苦しい相手はたいてい、あなたが嫌いになってよい相手である。取り繕った表面上のことばは一切関係ない。

 

好きか嫌いかという選択肢がぬきとられた世界というのは窮屈いがいのなにものでもない。あなたには愛がある。もし表現する手段がみあたらないとしてもだ。相手を嫌ったからといってあなたは悪いことをしているわけでも、愛がないわけでもない。善人が好き嫌いをしないわけではない。善人も好き嫌いがあって当然なのだ。感じるままにあなたは十分なのだ。