魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

愛を動機として生きてみた結果|孤独を乗りこえて


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悩めるひとには朗報だ。どれだけ朗報かといえばこの世には二つの選択肢があることをしっていただけることである。人生には多くの選択肢が、一見存在する。朝スーツを着て出かけて、夜遅く満員電車で帰宅。一ヶ所に留まることのできない性格が、世界各地を回るジャーナリストととしての才能を開花させた。どのような人生の選択肢をしたとしても、物事をおこなう動機は、「愛」か「恐れ」かのどちらかである。

 

 

スピリチュアルからみた愛

 

まず断っておくが、ここではなす内容は、決して過度な内容についてではなく、日常における指摘としてとらえてほしい。スピリチュアルからみた愛は、この世でたった二つのエネルギーのうちの一つ。つまり、恐れと愛のうちの一つだ。

 

恐れは、憎しみ、劣等感、自己嫌悪、自己無力感を生む。恐れというボックスのなかには、自己破壊的な要素がたくさんつまっているのだ。仕事などで、ひとの行動を裁いたり、責めたりするのも恐れを動機としている。ひとを責めることでじぶんを社会的に、人間的に、ズレのない存在として正当化しようとする心理だ。

 

愛のある対応はそれとはまるで違う。ミスをした相手はどんな人間であったのか?どのような心境だったのかを考慮してあげられる。

 

いまから書く部分にアレルギーを示すひとはご遠慮していただいてよい。前置きしたところで、ひとりひとりが愛を実践することは、地球全体の波動をあげることであり、ざっくりいえば生まれた使命である。人間社会で、肉体をもち、精神、魂を磨き、それをもっとも尊いものとして、霊界へもちかえるのだ。霊界での通貨はお金や肩書きではなく愛である。愛だけが価値を持ち得るのだ。

 

恐れは、思考、感情ともに停滞しており、愛は健全な思考が、前向きな感情を形成する。愛を動機としていきるひとと、恐れを動機としていきるひとでは周波数が異なる。

 

引き寄せの法則にも関係しており、いきる動機づけがあまりに異なる者同士は出会えない。出会うとすれば、ご自身のカルマによる問題、自己成長に関わる部分が関係しているであろう。

 

愛と孤独

 

人生の苦境にあり、愛の実践に目覚めてからのボクは、さまざまなボクに出会った。他人という姿をした、怒りっぽいボク、気弱なボク、ずる賢いボクだ。愛を実践するうちに、人間関係が変わっていった。

 

それはなんともいえぬ喜びである、そのように魂が理解していた。だが、愛の実践はなんと孤独な道かと理解する。いきる動機のズレが周囲との関係をどんどん遠ざけていき、現在も加速している。そんななか、おなじく愛を実践するひととの関係はかけがえのないものとなる。

 

誰かと一緒にいても寂しいと感じ、別れたあとさらにその想いが深まるということがある。そういった場合は付き合っている関係の繋がり自体が寂しいものなのだ。ひとは本来ひとりで生きられる強さがある。その強さを身につけるまではとても孤独だ。だけど、愛が発現しないことはもっと孤独なことだ。だが、恐れからくる孤独はいつかおわりをむかえる。あなたの魂が気づきを深め、内的問題が解決したときにおわる。

 

愛を動機とした関係ならば、深い感情の意思表示が可能となり、お互いに与え合い発展できることに気づく。そうした反応は動機の異なる間柄では発現できない。動機の整った相手をまえにしてはじめて自己を表現する意味を理解する。愛を動機として生きてみた一つの結果は、

 

愛は人間に自然なかたちの自信をもたらすということだ。

 

 

おわりに

 

これから愛を実践するひとは、ときにおおきな孤独を感じるかもしれない。しかし、愛にいきることを諦めずにつづけてほしい。ボクたちは愛を実践する仲間である。