魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

1日1食から2日に1食にした結果


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1日1食を数年つづけたすえに、いよいよ2日に1食に突入した。文字にしても、日と食のあいだに「に」と挟まねばならないあたり、2日1食では意味が伝わらない。それだけ普及した方法ではないようだ。1日1食から2日に1食にした経験と結果をスピリチュアル的観点を含めて書いてみたい。

 

 

2日に1食を行った結果

 

近年1日1食というのは決して珍しくはないだろう。1日1食を行うひとは、おそらくダイエット目的ではなく、個人的な教義における理由だろう。

 

ダイエットなら、栄養面を意識するはずであり、多くの、健康的に痩せたいひとびとにはこの方法が合理的とは認識されないだろう。

 

ぼく自身、自己分析のため、瞑想を日課とし、断食をして感情の整理を行ううちに、自然と食が減っていった。スピリチュアル的には食事の栄養素=肉体を維持する必須要素とはならない。

 

内面への理解が深まり浄化されていくと、食からのエネルギーではなく、"プラーナ"と呼ばれる大気中のエネルギーを摂取するようになるという。例えば一般人の6割ほどの食事量ですむならば、残り4割はプラーナで補える。

 

もちろんこれは目安としての考え方であり、単純計算できるはなしではない。

 

このはなしのなかで肝心な部分は、ぼくの食事量は"自然と減った"という部分だ。無理をしたわけではなく、自らの内面を観察し、自身により自身を支配していた観念的部分を解消するにつれ、食事の量、質ともに変化していったのである。

 

説明は難しいけれど肉体、精神、魂の純度が向上したのだと無意識に理解している。1日1食から2日に1食とを比べると、生きることと食事をすることの意味がまるで違っている。

 

1日1食ならば、1日一回は食事をするわけで、まだ、食事が習慣化しているといえる。一方で2日に1食の場合、2日のうち1日は必ず食べない。生きるうえで食事をする習慣を半分手離したことを意味するわけだ。

 

さて、栄養学でいわれる部分は、1日1食で肉体労働していたころから、無視してしまっている。個人的にはやはり、食事=一種のエネルギー摂取の方法くらいにおもうのだ。

 

当時から、度を越えたジャンクなものは口にしなくなり、肉も食べるのだが野菜や果物を食べたい欲求が広がっていった。野菜や果物、また木の実などはエネルギー的に充実しているゆえに、ベジタリアンやフルータリアン、ヴィーガンなどが存在できている。

 

実際現在のような生活スタイルになることなど、食が減りはじめた当初は考えすらしなかったが、肉体のライトボディ化が進んでいるのだから、後戻りはしたくないとおもう。

 

1日1食のころから、食を控え、ときに断食を取り入れることで、人間の三欲を押さえてきたけれど、2日に1食となると、三欲の低下はさらに著しい。

 

肉体的説明は、あまり必要ないだろう。精神的な部分での変化は、食事>浄化期間>食事>浄化期間の繰り返しで、数日断食をしたときのような気分がつづいている。

 

微量にケトン体が放出されているのか、感情は恐ろしいほどに穏やかで、観念的な意識に支配されにくくなった。この記事を書きながらも、読者のみなさまに決して無理をした少食方法はおすすめしない。

 

突然少食になることは、ダイエットでもよくないし、頭痛やめまいなどからだに不調が現れるからだ。そのうえで、2日に1食となり、精神的には絶好調である。</p