魂の旅

スピリチュアルについて書いていく

ブレサリアンを目指して2日に1食生活を開始した感想


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1日1食といえば、理解のある方からすればかなりストイックな生活習慣ではなかろうか?だいたいの場合、1日1食生活をしていることを周囲に伝えたときの反応は、え?と困惑されることのほうが多かった。そんななか2日に1食となると、一般的にはもはやわけがわからない。アンチエイジングとして、また生活習慣としての理解も得られず「あなたはなにがしたいのですか?」とおもわれるはずだ。

 

ここまではよろしいだろうか?………で、「ブレサリアン」を語るときなどは、まず、ベジタリアンを説明するノリではなく、スピリチュアル的要素をふまえてはなさねばならない。なぜなら、一般の方々には理解不能だからだ。ブレサリアンは食べ物や健康の嗜好ではなく、教義に基づいた生き方だからだ。ブレサリアンを引合いに、ぼくもまた個人的教義に基づき、2日に1食生活の中身を語ってみたい。

 

 

2日に1食生活の中身

 

ブレサリアンとはなにも食べずに生きるひとびとをさす。青汁のみ、また、水分のみで生活するブレサリアンもいれば、水分すら断ち、光(プラーナ)のみで生きるひともいる。つまりリアル仙人だ。

 

食べずに生きるという考え方そのものが、一種の教義である。

 

こういうと語弊が生じるかもしれないが、少食に慣れていくということはすなわち、自己探求を進めていく道へ突入したといえる。

 

1日3食から1日2食になるというくらいの変化であれば、どなたでも可能であろう。しかしさらに食を細めていくとなれば、内面的な部分を変容していかねば先は厳しい。

 

日本でも修行僧や、個人的教義に基づく者以外の行為はあまり耳にしない。

 

ひとが一般的には考えられないほどの少食を行う場合、ある程度、感情的、心理的、情緒的、カルマ的な部分を打開していく必要がある。

 

ぼくが少食になったきっかけは、一度、人生に行き詰まり、精神的にも不安定だったなか、ある朝、数学の計算式が解けるように、これまでの内面的な問題が解決するという奇跡のような出来事があったからだ。

 

その後、自然と朝食を食べるのが苦痛となり、1日2食になり、気づけば自然と1日1食になり、現在2日に1食となった。奇跡的な出来事の後から自然と瞑想をはじめ、ときに断食をし、みずからの内面と向き合った。

 

そうだ、1日1食となった当初、ぼくは、観念的な問題に直面していた。これまで身の回りで起こった出来事に対して、周囲の反応にベクトルを置くのではなく、ぼく自身の感じ方の修正を試みていた。

 

………なぜじぶんがそう感じるのか、現象に対して抱く感情はいつごろ、どのようにして生まれたのか。そんなことを繰り返していると、自然と、以前ほど、腹が減らなくなったと気づく。

 

空腹は心地よい時間だ。さて、体重などは、1日1食になり、ほとんど落ち着き、2日に1食になると、変動がほぼみられない。こんなことをはじめるまえは、食いしん坊なじぶんにはおよそ縁のないはなしだった。

 

修行者はなぜ断食をするのだろうと、納得がいかない。だが、いまはわかる。食欲に打ち勝つことは他の欲も、三欲を制御するちからとなるのだと。ブレサリアン、聞いたときは「ホンマかいな?」すこしの疑念を抱いたものだが、少食が進うちに、ふつうに信じられるようになった。

 

 

して、回り道をしたけれど、2日に1食となった現在のはなしをする。1日1食のときと同様にいまも肉体労働をしている。おなじ時間、おなじ内面、だけど、精神的、心理的にはかなり落ち着いている。自身のなかにある「物事はこうでなければならない」という観念的束縛から解放されていることが最も大きな変化だ。

 

自己執着が減り、エゴ、無理をした自意識というものがさよならをつげている。アンチエイジング的な説明はもはや不要かもしれない。健康嗜好的な内面は1日1食までであると感じるし、気になる方はこちらを読んでほしい。

 

2日に1食になると、1日を暇でもてあますこともなくなる。どこか、じぶんが爽やかな雰囲気に包まれて、優しい気持ちで、物事に取り組める。1日1食で感じていた、夜が暇でたまらないという感覚もない。なんというか、気持ち的に毎日がハッピーである。嫌なことがあっても、浄化できる速度がはやい。

 

2日に1食となり、どんどんじぶん本来の本質に近づいているような心もちである。また、1日1食のときは、腹が減るのをまっていたが、2日に1食となると、腹が減らないことがふつうになる。そのため、予想していたよりもストレスは少なくてすんだ。最近では食事の栄養という観念よりも、食のもつエネルギーを意識するようになった。量よりも、食物がもつエネルギーの質が大切だと感じる

 

これからも少食を通じて、スピリチュアル的な教義を追及していきたい。</p